2009年7月27日月曜日

ミロスワフ・バウカ

**シンポジウムPart2参加、ミロスワフ・バウカについてのメモ

ミロスワフ・バウカ Miroslaw Balka

1956年、ポーランド生まれ、ワルシャワ在住。彼は身近な素材(鉄、木、塩、髪の毛、石鹸、等)を用いながら、日常生活の中で行う様々な行為(例えば毎日手や顔、身体を洗う、食事をする、寝る、等)を想起させることを通じて、どの時代、どこの国の人々にとっても共通であるような、ありふれた、しかし極めて重要な問題を提起する。それはつまり「生」と「死」の意味を考え直すことであり、生きていく基盤を問い直すことに他ならない。

**日本国内での展覧会
転換期の作法  ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術
2005年8月2日(火)〜10月10日(月・祝)
国立国際美術館

世界中の子供達は「カラの皿」を目指して今しも旅の途上にある
02年度ICANOF企画展「食間の光景/食間の廃景展」
2003年2月16日
八戸市美術館

ミロスワフ・バウカ<食間に>
2000年7月27日(木)〜9月3日(日)
国立国際美術館

2009年7月11日土曜日

7月10日、国際シンポジウム part1

本日、国際シンポジウム「Creative Engagement/生存のエシックス」Part1が開催されました。
パネリストの森本幸裕(京都大学大学院地球環境学堂教授)、デヴィッド・ダン(環境音楽家、アメリカ合衆国)、「生存のエシックス」プロジェクトチームより中ハシ克シゲ・井上明彦、スサーナ・ソアーズ(美術家、イギリス)、スティーヴン・カーツ(クリティカル・アート・アンサンブル、メディア・アクティヴィズム、アメリカ合衆国)より、各自の基調報告があり、最後にパネリスト全員参加の討論が行なわれました。

まず、各自の基調報告について。

森本幸裕氏は「庭の景観生態学」と題して、無憐庵、修学院離宮庭園、銀閣寺庭園、平安神宮神苑などさまざまな庭を紹介。自然と人工の間に位置する庭は、生態学的な原理や環境要因が重なって生み出されるもので、美的景観を求めて計画しただけでは作りうるものではないということを論弁されました。
たとえば銀閣寺庭園には、背後にそびえる山が浸食され花崗岩が崩れ落ちてくることで絶えず庭石が供給されるという仕組みになっています。
というように、庭を研究することから窺える人と自然の共生、生物多様性や地球環境へと話が展開されました。

デヴィッド・ダン氏は過去から現在にいたる音にもとづく作品を紹介。それらは人間以外の生物の住む自然界の音を特殊なマイクで捉えようとする試みや、人間と他の生物と音を使ってコミュニケーションを計るというような作品で、聴覚を媒介に世界を新たに捉え直すといったものです。
また、「厳格さだけでは無力な死に、想像力だけでは狂気に至る。」というグレゴリー・ペイトソンの言葉を引用しながら、芸術と科学というふたつの現代文化を相互補完的で批判的な関係性を共に進展させる必要があることを提言されていました。

中ハシ克シゲ氏は、まずアフガニスタンで医療活動、用水路建設、難民救済、農業支援の活動を医師・中村哲氏の活動を紹介。そこから、水路を作る現場で敵対する立場の人間同士による恊働が行なわれたという事例を紹介し、シンプルな恊働作業が導く人々の交流の可能性について言及、展覧会中に多数の参加者によって公開制作される自身のプロジェクト「連鎖する水声」について論考されていました。

井上明彦氏は、京都の西端で高速道路建設のために自然や民家が破壊されている状況を提示し、自身のプロジェクト・アクアカフェがその取り壊された民家の土塀(手作業で作られたものでありながら300年の年月を耐えた)から救い出した土練りに藁を混ぜたレンガや竹から構築されること、また、プロジェクトを展開する上で「物を買わないこと」を自分への課題としていることなどを報告。
ほかにも、19世紀のアフガニスタンでの水路工事やラオスでの水の運搬の様子を紹介し、水道設備のなかったかつての日本での情景との共通点を示唆しながら、水、家(土)といった生存に関わるインフラを、もういちど考え直すことを提示されていました。

スサーナ・ソアーズ氏は、大量生産・大量消費の限界を迎え、sustainable(持続可能)な開発が求められる現代においてデザインがどのような役割を果たせるか、ということを論題に、特に科学と社会の関係を結びつけるデザインの可能性について、自身のデザインの紹介を交えて提案されました。
たとえば"Am I Attractive?"という作品では、蚊が入った球体の開口部に2人の人間が手をかざし、どちらに蚊が寄ってくるかという結果から、蚊が原因となるマラリアの感染リスクを診断するというもの。ここでは、普段は忌み嫌われる蚊がここでは別の意味をもってとらえられます。そういった思いがけない関係性を生み出すデザインの可能性を示唆されていました。

スティーブ・カーツ氏は、まず現代において人間生活を根本的に覆すものとして、IT革命とBiotechnologyの革新を挙げました。そして、IT(情報技術)については知識階級の人々が関心を持ち使いこなそうとする一方で、Biotechnology(生命工学)については一般的に関心が薄く、一部の専門家や企業が知識を占有していること(そしてそれは権力に結びつくこと)に危惧を抱いていることを述べました。
それらに如何に関心を持たせるか、という意図から、"Free Range Grain"という自分たちが口にしている食品が遺伝子組み換えかどうかを判定するラボをpublicな場所(例えば美術館など)に展開する試みを紹介。
また、人々が陥りやすい偏見の危険性を「ユートピア型」「SF型」とに分類し、懐疑的であることや、自分たちで学び、理解し、意思決定することの必要性について言及されました。


これらの基調報告をふまえ、『感性/理性/悟性』をキーワードに、パネリスト全員参加の討論では、まずシンポジウム前日に行なわれたスティーブ・カーツ氏のビールと煙草無料配布のパフォーマンスを引き合いに、資本・価値について、共存についてなど各自の立場からの意見交換がなされました。




左、井上明彦氏。右、スサーナ・ソアーズ氏。


左、森本幸裕氏。右、中ハシ克シゲ氏。


左、デビッド・ダン氏。中、高橋悟氏。右、スティーブ・カーツ氏。